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アーティスト紹介#6 / ドゥルパド声楽家 Shree

更新日:2021年11月1日

閑静な品のある家並みを抜けてご自宅に到着するとやわらかな笑顔で招き入れてくれたShreeさんとお母さま。


ご自宅を案内していただき、音響設備の整った収録部屋やプライベートレッスンで 利用されている和室には趣のある日本を感じる調度品のなかにタンプーラー(インド古典音楽で使う弦楽器)が調和していた。


そしてプライベートの部屋に通していただくとそこには自然や温かみを感じるインド縁のものに囲まれて多肉植物やたくさんの本が並んでいてShreeさんの雰囲気を感じる空間が広がっている。

そこへ、ドリンクを好みに合わせてチョイスできるようにたくさんの選択肢を用意してくださり、お母さまお手製のおいしい洋菓子を添えてくださるホスピタリテイ。 和やかなムードの中お話をお聞かせくださった。




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 北インド古典 ドゥルパド声楽家

 Shreeさん インタビュー

 2021年8月


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内容

  • インドへ...北インド古典音楽ドゥルパドとの出会い

  • 師匠の Pt.リトウィク・サンニャル氏とダーガル流派について

  • ドゥルパドとカヤールの違い

  • 日本人の感性に近く、"間"を大切にするドゥルパド

  • ドゥルパド演奏の豆知識 ...など

アーティスト:Shreeさん

インタビュアー:Misa

(2021年夏に北海道より来京後、Shreeさんからドゥルパドを学ぶ。記事の最後に自己紹介を掲載しています)


――― Misa:

11月のライブコンサートを前にまだこの音楽に詳しくないかたも Dhrupadや Shreeさんに親しみをもってもらってより味わい深く演奏を聴いてもらえればという想いでお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします^^

それで、Shreeさんはどんなふうに北インド古典音楽Dhrupadに出会ったんですか?


――― Shree:


初めてインドに行くことになったのは、音楽修行が目的だったのではないんですね。

当時は何より日本を脱出して長期放浪の旅がしたかった。そして写真にも興味がありました。1985年に神戸港から鑑真号に乗ってアジア放浪の旅に出発。まず中国 を3ヶ月旅行して、チベットから陸路でネパールのカトマンドゥに入り、ネパールを2~3ヶ月旅したのち、1986年に初めてインドに入りました。

あの頃は藤原新也さんの『全東洋街道』が好きでね、とても興味をそそられて放浪の旅がしたいと思ったんです。あの旅を逆になぞる感じでやってみようかなと。 20代だったし一人旅だと親が心配するからと、友人を誘い、二人で日本脱出計画をたてました。 インドに初めて入ったのは国境の街ルンビニー(ブッダ生誕の地)で、カトマンドゥからのバスの旅でした。着いた街がヴァラナシ(より正確にはヴァーラーナッスィー・英語名ベナレス)。その翌年からずっとインド音楽を学ぶことになった街です。 ヴァラナシに着いてみたらもう街がすごく面白くって。まるで漫画みたい、でした。また、着いた瞬間に「わたしはここに帰ってきたんだ」とも思いました。

なんか自分の中の何かが突然開いたというかね。

それまでのわたしは自分を生きてないような、人生を楽しむってどういうことかよくわからないという感じだったんです。

それがヴァラナシについたとたんになにかが開いたような感覚になった。

「わたしは生きている!」

ヴァラナシではインド音楽を学んでいる旅人にたくさん出会いました。友達のレッ スンについていったら面白そうなので自分も始めちゃったなんていう外国人(インド人から見て)が結構いて、レッスン代も当時はとても安く、気軽に音楽を学べる環境でした。Don’t think too much, just start! なんて載せ上手のインド人に言われたりとかして、ね^^ いろいろな国々からやってきた人々に出会いましたね。旅が人生のような人が多くて、そのゆるいコミュニティもありました。みんな気軽に音楽やらダンスやら「ちょっとやってみようかな」という感覚で始めていたんですね。 ヴァラナシは、ガンガー(ガンジス河)沿いに石段のガート(沐浴場)がたくさん 並ぶ、ヒンドゥー最大の聖地です。インド中からヒンドゥー教徒が巡礼にやってくる。ある者たちは死を迎えにやって来る。ヒンドゥー教徒にとって聖地ヴァラナシ で死ぬということはとても意味のある事です。全ての命の目的であるモクシャ(解 脱)を今生で達成できなくとも、ヴァラナシで死を迎えれば輪廻から解放されると考えられている。 そういうこと、つまり霊性がテーマとも言えるヴァラナシは、他のインドの都市と雰囲気がおのずから違うんです。そんなわけでヒンディー語名のこの街の名前はバ ナーラスという。バナ・フアー・ラスが語源で、すでに雰囲気の出来上がった街、 の意。そんなヴァラナシの全てがとにかく面白かったですね。音楽もまた、一つの霊性のシーンなんですよ。ま、インドでなくても音楽はまず霊性の探求から始まったとわたしは思います。 そしてヴァラナシには星の数ほど祠やお寺がある。毎日どこかでお祭りがある。 そんなガートやヒンドゥー寺院では、無料のコンサートがよくありました。大きなお祭り期間中だったりすると毎日のように無料のコンサートがあって、音楽にもミ ュージシャンにも出会いやすい。デリーやムンバイといった大都市と違って、街の規模も出会いやすいサイズの街なんですね。 もうとにかくインドもインド音楽もインド哲学も好きになりすぎて、いつの間にかインドにどれだけ長く滞在できるか挑戦するようになりました。そうして27年ほどインドにいてしまいましたね。ビザの関係で半年インドにいて半年はインド外で過ごすというサイクルの時もあれば、運よく長期ビザをいただけたこともありました。 初めてのインドは、とにかく旅をした。楽しくて面白くて毎日朝から晩までドキドキワクワク。この62年の人生の中で、これほど心躍るハイな日々はありませんでしたね。 2年目のインドでは音楽を習いたいなあと思い、まずサントゥールを習ってみました。サントゥールが一番簡単そうにみえたから。(笑) 全く考えが甘かったですけどね。

とりあえず買った楽器は中古でした。サントゥールは弦の数が90本近くもあるんで すね。チューニングすれどもすれども、どんどんずれていくものだから、もう一日中チューニングしてばかり。(笑) 当時は木のケースで、持ち運びも重たくて大きすぎ、旅するのも大変で一年目でギブアップしました。音は本当に美しくて、今でも大好きな楽器の一つです。 さて、その翌年。もともとヴァラナシは打楽器タブラの街です。石造りの建物、迷路のような小路に響くタブラの音。次はタブラが大好きになって、5年ほど習いました。アカンパニーでちょっと演奏できるかなくらいまでにはなったんですね。でも右手の薬指の関節を痛めてしまって5年目で辞めることになりました。自分の音が好きだったし、フィンガリングも悪くはなかったし、タブラは大好きだったけれど華奢な身体が許してくれなかったというわけです。 そしてそうこうしているうちにドゥルパド(Dhrupad)の声楽と出会ったんです。 最初、あちこちのコンサートで聴いたヴォーカルは、ほとんどカヤール(またはキヤール)様式の声楽でした。演奏では何が起きているのかよくわからなくて、遠い存在に感じていました。 でも、ドゥルパド(Dhrupad)は違った。

ドゥルパドメーラーという、古式ゆかしいドゥルパド様式の音楽祭が、毎年2月ごろにヴァラナシであるんですね。 メーラーとは、インドの言葉で「毎年恒例の催し」と言う意味です。このメーラーはシヴァ神のお祭 りシヴァラートリーに合わせて開催されます。(ちなみにヴァラナシはシヴァ神の都です)。そのドゥルパドメーラーを毎年聴きにいっているうちに、またインド 音楽に対する理解が進むにつれて、これまでにない衝撃がだんだんわたしの中で深まっていったんです。 メーラーのインド人聴衆は、他のコンサートより数は少ないけれど文化的に深そうな人たち、そしてお年の人が多く、聴衆も演奏者も格好はきらびやかではない。味わい深い伝統的正装が多くてね。演奏者のビジュアルもすごく味があって、ひとりひとりのキャラクターがたってる。そんな人が多かった。見ているだけでも面白かったんですよ。

カヤールの音楽家たちは華麗でかっこよくて美しいんだけど、わたしはそのドゥル パドの人たちの雰囲気にとても魅力を感じましたし、何より古き良きインドを感じました。最近のドゥルパドメーラーは、その当時とは少し違いますけれどね。当時の味のあるマエストロの方の多くが他界されてしまいましたから。

さて。 ドゥルパドは器楽演奏もありますが、声楽家がほとんどです。ちなみに、カヤール 様式にしても声楽こそ真髄なのがインド音楽です。日本ではインド音楽といえば弦楽器シタールというイメージですが、本場では声楽こそ、なんですよ。 サンギート (上演芸術)というジャンルがインドの芸術にはあって、声楽/器楽演奏/舞踊・ 演劇、の3つから成り立ちます。 その中で声楽が一番深い、神と繋がる手段とされているんです。 その、なぜ声楽が一番深い、とされているのか。それを直観的に感じ取ることができたのがドゥルパド声楽なんです。まず、カヤールではわたしには響かなかった 『声のパワー』が衝撃でした。身体の奥深く、その中心から湧き出て来る、歌い手の声。


ドゥルパドにしてもカヤールにしても、古典声楽は、いわゆる“歌”というより“ヴォイスによる旋律即興”の要素が強い。もちろん器楽演奏と違って歌詞があるんですが、意味のない音節や歌詞の一部を使って繰り広げられる旋律の即興性、そこに主眼が置かれていると言っても良い。その、抽象的とも言える即興旋律を顕していく、ドゥルパドの立体空間的な声の力に圧倒されたんです。それは聴き手であるわたしの胸や腹、身体の中心に響いてくる。

そしてドゥルパドは日本人に合うなと思ったんです。 ドゥルパドの打楽器はタブラではなく、より古いパカーワジ(別名ムリダング)と 言う両面太鼓です。その頃ちょうど、その奏者の故シュリーカーント・ミシュラー さんと仲良くなり、ドゥルパドに関するいろいろな情報を教えていただきました。 そして声楽の先生として紹介にしていただいたのが今のグル・ジー(お師匠さま)Pt. リトウィク・サンニャルです。(Pt.=パンディトは敬称で、博士や極めた人の意。そのイスラム版はUd.=ウスタドです)


( 写真正中:若かりし頃のPt.リトウィク・サンニャル氏、

左:彼のグルの一人 故Ud.ジア・ファリードウッディーン・ダーガル )



それが1992年で、そこからドゥルパドヴォーカル人生が始まりました。

ヴォーカルを習い始めてその3年後に、パカーワジをシュリーカーントさんから習い始めもしましたね。7年くらいやった結果、腕と肩を壊してやめてしまいまし た。本物の音、音の重みというものがあり、それを追求するとなるとパカーワジは 芯からの力が必要だとわたしは思います。綺麗でも軽い音では私は満足できなかった。一時はパカーワジに夢中でヴォーカルを中断したこともあったぐらいなんですが、またしてもわたしの華奢な肉体がついてこなかったんですね。 ま、一般的にごく幼少の頃から音楽を始めるインド人と、そうでない人とではハンデがあると思います。オリンピックのアスリートと同じです。当節、インド人音楽 家の演奏技術は本当に超人的ですから。とは言え、なにより芸術である音楽にとって大切なことは、最終的には人生経験などから来るその人の味や精神的豊かさだと思います。技術的に超人的なところまで行っても、それはコンピューターでもできる、今はそんな時代ですよね。でも人がやるからこそ、そこにどういう情感が出るかとか、そういう趣深さが あるわけです。そういうことって子供から始めたとか大人からとか、人種とかは関係ないと思います。 ちなみにこの写真は、一番敬愛するドゥルパド声楽マエストロ、グル・ジーのグル である故Ud. ファリードウッディーン・ダーガル。 右は、彼の甥のルドラ・ヴィーナー奏者Ud. モヒ・バハーウッディーン・ダーガル。


( 写真 ダーガル家 )


――― Misa:

Shreeさんが撮影した写真なんですね!この方たちとここにいたんですねー!(驚き) ところで、お話のなかであったドゥルパドが日本人にあうというのはどういうこと ですか?

――― Shree:

ラーガを即興演奏する北インドの古典音楽様式には、ドゥルパドやカヤール以外にも、ライトクラシカルなトゥムリー、タッパー、などの様式があるんですね。 カヤールのプログラムでは、カヤールだけでなくライトクラシカルな演目も合わせて歌われます。対してドゥルパドのプログラムは、演目はドゥルパド様式のみです。 それをビジュアル的に例えてみましょう。これは日本人としてのわたしの見解です。

まず、カヤールはインド古来のドゥルパド様式とペルシアの音楽が出会って登場した、宮廷音楽の様式と言われています。即興展開の根本的な違いがその辺にあると思うんです。

カヤールは、モスクのアラベスク模様のように旋律の即興が展開していきます。そこには華やかさがあり、アランカール(インドのパターン練習、ハノンピアノ教本のような)を元にしたパターン展開を多用していて、これをアランカールターンと言います。どこか空間埋め尽くし的です。カヤール歌手の場合、擦弦楽器サーランギーや、手漕ぎオルガンのハルモニウムなどの伴奏がついていることがほとんどで、常に後追いで並走するように主奏者のメロディを追いかけているので、『間 (静けさ)』がないのです。 対してドゥルパドは、確かにアランカールも所々応用しますが、アランカールターンのようなアラベスク模様的即興展開はない。そして『間』『静寂』の提示が必要です。グル・ジーから常々「サイレンスにこそ真の音楽がある」と指導されます。そのドゥルパドを日本人的に例えるなら書道のようなもの。弦楽器タンプーラーの倍音空間というキャンバスの上に、声で立体的な書を描いていくような。そしてそこには『間』が大切なんです。


――― Misa:

それが日本っぽさにつながるのですね。


――― Shree:

そうですね。 書道は紙という平面のうえに表していくわけなんですが、ドゥルパドではタンプーラーの倍音空間がその紙に当たります。タンプーラーはとても重要な楽器です。そこに声で、気の流れに乗せて絵を描いていく。それはまたラーガのストーリーテリ ングとも言えますね。

これがドゥルパドだと思うんです。

ドゥルパド声楽でも、稀に実験的にカヤールのようにハルモニウムやサーランギーと歌うケースもありますが、いくら素晴らしくても、ドゥルパド演奏としては、わ たしには興醒めですね。申し訳ないですが。それではドゥルパド的な『間』が生き てこないからです。

グル・ジーがよく言うんです、なぜ二つのスタイルがあるのにミックスしないとならないのか、両方に両方の美があるのだからそれぞれの美を追求すればいい、と。 これは伴奏に旋律を奏でる楽器があるかないかだけでなく、カヤール独特の歌唱法 をドゥルパドに混ぜないことも含まれます。また、古来からのラーガの知識を伝え るドゥルパドにおいて、ハルモニウムと一緒に歌うことは、微妙にラーガによって 違うシュルティ(微分音)を台無しにすることになってしまいます。ハルモニウムは一音一音が固定されているからです。

わたしはカヤールも好きですよ。でも、わたしにはドゥルパドがあってると思います。

カヤール声楽は技術的にすごく難しいですしね。インド人は流れる水のように歌う。そこに表現される繊細な波紋の連鎖。あれはそうとう難しい。外国人でカヤールやってる人はなかなか見ないですね。ドゥルパド声楽を志す外国人は、ドゥルパド人口の中でみると結構多いのですが、それはドゥルパドのほうが技術的にとっつきやすいということも多少はあるでしょうね。もちろんドゥルパドはとても深くて 簡単に達成できる道ではないですよ。カヤールと違う難しさがあり、カヤールの歌手たちに言わせればドゥルパドの方が難しいのです。

ドゥルパドは、現在まで続く生きたインド古典音楽様式としてもっとも古いと言われています。そして代々一握りの家系内でのみ伝えられてきました。家系外の人たちにも門戸が開かれるようになったのは第二次世界大戦後、インド独立後のことです。

マハラジャ(藩王)が音楽のパトロンだった時代、宮廷音楽士のなかでもドゥルパド演奏家がマハラジャの音楽のグルでした。格調高い様式だからです。

ドゥルパド演奏家のラーガの知識は最も深いという認識が歴史的にもありました。 また、いにしえのドゥルパド演奏家はカヤールも含むすべての古典様式が歌えたそうです。太鼓や他の旋律楽器の知識もあった。しかし、ドゥルパドは自分の家系だけに伝えて、他の弟子たちにはそれ以外の音楽を教えてきた。

それが、インド独立後にマハラジャ制度が廃止となり、庶民が音楽のパトロンとな ったとき、瞑想的で悠長なドゥルパドより華麗なカヤールのほうが生き残りやすいということがあった。それでドゥルパドは一時存亡の危機に陥ったんです。飢えで亡くなったドゥルパド演奏家もいたという話ですよ。

そしてやがて、インドの文化人や、ドゥルパドに感銘を受けた西洋人たちに支えられて、ドゥルパドのリバイバルが始まり、門戸が家系外に開かれました。ドゥルパ ドには古いラーガの知識を保存するという役割もありますしね。わたしのグル・ジ ーは、そうした家系外弟子第一派の一人なんです。



世界的に紹介されているのはダーガル流派ばかりですが、ドゥルパドには他の流派もあります。現在生き残っているのがおよそ3流派ですが、大きな流派は二つ、ダーガル流派とダルバンガー流派です。

ひとつのドゥルパド演奏は二つのパートから成り立ちます。太鼓パカーワジ伴奏のない(リズム周期のない)パートの「アーラープ」と、太鼓伴奏を伴うリズム周期のあるパート、狭義の「ドゥルパド」です。

ダーガル流派はアーラープがかなり重要です。ダルバンガー流派はアーラープも素晴らしいですが、太鼓との掛け合いのダイナミックなリズムが素晴らしい。いろんなリズムのバリエーションがあって、パカーワジ奏者がより楽しむのはダルバンガー流派だと思います。 いずれダルバンガー流派の演奏家も、日本ドゥルパド協会でご紹介できれば嬉しい ですね。



――― Misa:


すごくわかりやすい解説をありがとうございます。ところで、ちらっと今執筆の準備をしているお話をお聞きしましたが、その内容がShreeさんが音楽のその先にみている世界観を現わしているように感じますので、その話を少しお聞かせいただけますか。



――― Shree:


はい。ドゥルパドの本を書きたいと思っています。


以前からそう思っていたのですが、自分の音楽活動や日本での暮らしを成り立たせるのに精一杯でしたし、書きたい内容が広大すぎてどこから手をつけて良いのか、何年も何年も立ち止まったままでいました。

しかし、それでは何も始まらないですしね。そろそろ年齢的にも、自分の演奏よりもインドで学ばせていただいたことをシェアーする方にウェイトを置くのが良いかと思っているのです。


最近は下調べとしてグル・ジーとイギリス人Richard Widdessさんの共著による『Dhrupad』と言う音楽学の英語学術書を翻訳しています。すでに2度は読んでいるのですが、翻訳まですればばっちり頭に入るでしょうから。


書こうと思っている内容は、インド古典音楽全般の基礎知識や用語辞典も含め、ドゥルパドの歴史・伝統・演奏の実際・現代のシーン、そして霊性について。多岐に渡ります。何年かかるかわかりませんが、是非書き上げたいですね。


ドゥルパドという、この奥深い素晴らしい芸術を、日本の皆さんに詳しくご紹介できれば幸いです。




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ドゥルパド演奏の豆知識

ひとつのドゥルパド演奏は二つのパートから成り立ちます。太鼓パカーワジ伴奏のない(リズム周期のない)パートの「アーラープ」と、太鼓伴奏を伴うリズム周期のあるパート、狭義の「ドゥルパド」ですね。 その二つのパートを合わせた全体が広義のドゥルパドです。

このような演奏形態は、カヤール声楽には受け継がれなかったのですが、カヤールでもシタールなどの器楽演奏には受け継がれました。

ドゥルパド声楽のアーラープの方には意味のある歌詞はなく、そこで歌に使われるのはシラブル(音節)です。音節にはエネルギーがあるとされていて、元はサンスクリットのマントラが起源なんです。ただし、言葉による歌詞はない。

アーラープは、さらに3つの部分から成り立ちます。ほとんどリズムの要素を感じさせないゆったりとした部分、これが狭義のアーラープですね。

その後に脈拍が表に出てきます。そのゆっくりとした脈拍の部分がジョール。 それが倍々と速くなるとジャーラーです。

太鼓伴奏を伴う狭義のドゥルパドには、主にブラジャ語で作詞された主題があります。

実はドゥルパドの語源は、ドゥルワ+パダで、ドゥルワ (北極星・固定された) + パダ (言葉・歌詞) = “固定された歌詞なんですね。

主題の歌詞を使い、リズム周期内で即興していくのが、この狭義でのドゥルパドです。



――― Misa:


今日はお話をお聞かせいただきありがとうございました^^

Shreeさんのインド古典音楽の出会いやそこからの流れのなかで、お人柄を感じて親近感を感じさせてもらえたり、インド古典音楽は深淵な音楽ではあるけれど、始めることに何かを気負ったりせず自然に始めていいんだよなあと背中を押してもらえるお話だったのではと思います。


そこから、確かな知識と経験からくる専門的なお話も学び深いお話でした。この記事を読んだ方にきっとインド古典音楽に興味が膨らむ方が増えるのではないかと思います。


11月21日のDhrupadの演奏がますます楽しみになりました。




インタビュアー:Misa


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お話を聞かせていただいた美紗について


病や障害と生きることに寄り添うなかで、どんなひとと生きることにも必要なことは、専門的な特別なことの前に、まず共感しあい理解しあい信頼や安心感をお互いの間にもつことだということ、そこに声や言葉のもつ影響の大きさを感じていました。


そんななかで、堀田義樹さんのキルタンに出会いその仲間とインドに旅をして、瞑想やヨガ、ヴェーダンタを学び始めた頃、中井すがたさんに出逢い初めて聴いたDhrupadに感銘を受けました。


その後、Gumiさんに出会い、インドの音階ラーガを学び始めました。インドへの2か月の滞在のなかでインドの世界観に魅せられ、Gumiさん主催の朝のオンラインのヨガやボイスワークで仲間と出逢い、札幌から京都へ移住して、ShreeさんからDhrupadを学び、仲間たちとセッションをしながらオリジナルの唄やキルタンを唄うことを真ん中に暮らしています。









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Shree / ドゥルパド声楽家

1987年よりインド放浪。北インド音楽やアドヴァイタ・ヴェーダーンタ思想に傾倒、’92年よりダーガル流派のドゥルパド声楽を主にPt. リトウィック・サンニャルに師事。 

ヴォーカリストとして、ドゥルパド声楽や天空オーケストラなどのバンド活動で日本やアジア、ヨーロッパで公演。 南インドの聖地ティルヴァンナーマライに10年ほど暮らす。 2013年春より生活の中心を日本にシフト。声楽家として、声楽教室やヴォイスヨーガWS、ジャンルを超えたコラボ、インドよりドゥルパドのマエストロ招聘などで活躍。 日本ドゥルパド協会代表理事。 CD:『サンキールタン』2007年 『観・自・在 ~ ハートスートラ』2019年3月ニューリリース


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