…「これが音楽の源流なんだ!音を純粋に楽しむ音楽があったなんて!」
ただこの身ひとつでポンと置かれても、そこに「存在する」ということが認められている。その人ありのままでそこにあり、心が望む音を空間に投げかける。その音に反応して誰かがまた音を出す。心が感応して、音楽が生まれる。
「あなたはあなたそのものでいい」そう言われていると感じました…
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バイオリン奏者
Asuwa Murayamaさん インタビュー
2021年8月
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バイオリン奏者のAsuwa Murayamaさんは、4歳から英才教育の一環で西洋クラシック音楽のバイオリンを始められたそうです。そんなAsuwaさんの、壮絶な音楽修行時代のお話、葛藤や挫折、即興表現との出会い、そしてインド古典音楽に行き着くまでの道のり。それらを通して様々な視点から、インドの人々の豊かな精神性やインド古典音楽の奥深さを垣間見ることができるのではないでしょうか。
アーティスト:Asuwaさん インタビュアー:Ai
4歳から始めたバイオリンと西洋クラシック音楽の世界
Ai:
お話をお伺いするのを楽しみにしていました。よろしくお願いします。
さて、早速ですが、北インド古典音楽の演奏会に向けて、今どんな心境ですか?
Asuwaさん:
ちょっと緊張しています。インド古典音楽を学び始めてから日が浅いこともあり、右も左もわからず、プレッシャーが大きいです。おそらく、いったん演奏に入ってしまえば楽しくなるだろうとは思うのですが。
私にとって、人前で演奏することは、非日常的な、いわゆる「ハレ」の場です。日常的な自分を解放できる特別な場所なんです。
Ai:
Asuwaさんは、4歳から「スズキ・メソード」でバイオリンを始めたとのことですが、西洋クラシック音楽って、どんな世界なんですか?
Asuwaさん:
今はどうかわかりませんが、私が楽器を習っていた頃の日本の西洋クラシック音楽界では、音楽をやる上で一番肝心の「音を楽しむ」ということが忘れられていました。コンクールに出て一番になる、音大に受かる、一等賞になるということだけにフォーカスしていて、本来の目的が置き去りになっているのです。
インド古典音楽と違って、西洋音楽は、作曲家によって書かれた楽譜を忠実に再現する芸術です。どれだけ、作者の意図に忠実であるかが問われるのです。絶対的な「正解」や「間違い」があって、一音でも音を外したらアウト。「陶器を完璧に磨き上げる」ような感じを想像するとわかりやすいです。
西洋クラシック音楽を本格的にやっている人の多くは、物心のつかない、まだ3歳や4歳の頃から、「英才教育」の一環で音楽を習わせられ、競走馬のように厳しい訓練を受けて育ってきています。私もそのご多聞にもれず、4歳から楽器を買い与えられ、強制的に練習をさせられてきました。他の子より少し上手かったので、親から「この子は天才」「あなたは第二の五嶋みどりになるのよ」と過大な期待をかけられ、泣いて嫌がっても無理やり教室に連れて行かれ、休むことは許されませんでした。
唯一少しだけ楽しかったのは、オーケストラです。私の父が、「福井ジュニアフィルハーモニック」という子どもオーケストラを組織していたのですが、小学校高学年から中学生時代に、そこのメンバーとして色々な曲をみんなと合奏しました。ベートーベンの「田園」がいちばん思い出深い曲です。4人で弾くカルテットなどもやりました。
音大進学の道を断念するまでの心の葛藤
Ai:
それからはどのように学生時代を過ごされたのですか?
Asuwaさん:
このように、物心つかないうちから、周囲から有り余る期待をされ、親の敷いたレールに乗せられて、自分はプロになるのだと、何の疑問もないまま成長していきました。ところが、小学校高学年ごろから、その「天才」ぶりにも陰りが見え始めました。
音程を急に外してしまうのです。課題曲が難しくなり、指を大きくシフトさせなくてはならなくなると、それが顕著になっていきました。私の通っていたスズキ・メソードでは、音階の基礎練習をせず、「耳コピ」をして感覚で弾くということを重視していたのですが、どうやら、それがよくなかったようなのです。長年の間、基礎練習をおろそかにしていた、というか一切やっていなかったことが、音程がうまく取れない原因になっていたようだと、だいぶ後になって分かりました。
世界一のソリストと言われる人々も、音階の基礎練習は徹底して毎日やると聞きます。インド古典音楽でも同じです。共演する、私の師事しているナカガワユウジさんも基礎練に練習時間のほとんどを費やすとおっしゃっていました。西洋でもインドでもそこは同じなんだな、と思い、少し嬉しくなりました。
このように、他の学生よりも基礎練に関してだいぶ遅れを取ってしまっていたので、音程に関してはかなり苦労しました。みんながすでに終わってしまっている音階教本を一から習い始め、地道に、じっくりと、しつこく練習する癖をつけていきました。私は生まれつき、衝動的でじっと我慢のできない性格なので、この練習は非常に苦痛でした。それでもなんとか遅れを取り戻そうと、毎日毎日、学校から帰るとすぐにケースを開いて基礎練に取り組みました。
「必死でやれ」「血の滲むほどやれ」「まだ足りない、もっともっと練習しろ」「絶対にプロになれ」…親から毎日のようにそう言われ続けるので、それが正しいのだと思って、「必死」にならなくてはいけないんだと、自分を鼓舞して練習に励んでいましたが、子ども心に「なにをそんなに必死にならなきゃいけないんだろう?そもそも必死って何?なにかがおかしい」とぼんやりとした疑問がありました。
しかし、「必死」に練習しても、一度開いた致命的な技術の遅れを取り戻すことは容易ではありません。音楽高校に上がった頃には、私はもうエリートコースからは完全に外れていました。私が弾いてももう誰も見向きもしない。膨れ上がったプライドはズタズタに壊れていきました。みんなから褒めそやされなくなった私には音楽をやる意味がない。
けれども、高校時代に師事していた先生は、「あなたは生まれつきの、他の人にない特別のものを持っているのよ。技術の習得は練習さえすれば誰でもできるから、自分の良さを伸ばして」と私を励まし、熱心に教えてくださいました。
先生のもとで、ジリジリと努力を続けていきました。進んでいるか、そうでないのか、自分でもわからなかったけれど、着実に前進していたようです。少しずつ、音程を大きく外すことが少なくなり、弾けなかったフレーズも、基礎練を繰り返すことで弾けるようになっていきました。先生のおかげで、技術力の遅れをこの時期にかなり挽回できたと思います。
でも、音楽をやる理由がなにもわからなくなっていました。このままじゃ、音楽以外何もできない白痴人間になる。というか実際なっている。私はなんなのか。楽器を弾くロボットかーー
「辞める。」「やっぱり続ける。」なんども逡巡し苦悩しました。
高3の夏、受験するかどうか決める時期、ついに「やっぱり辞める」と母親に伝えました。しかも、何百万円もする新しい楽器に買い換えてもらって間もない頃のことです。両親は激怒し、私を「裏切り者」「弱虫」「卑怯者」「負け犬」等、罵詈雑言なじり倒しました。勘当同然の扱いでした。その後何年も、ことあるごとにそれらの言葉を投げつけられました。
親たちは私の将来に望みをかけて、私の「ために」共働きをしてお金をまかなっていたわけで、それをドブに捨てたのですから、無理もないのかもしれません。
でも私は、自ら本当に望んで西洋クラシック音楽の演奏家への道を志していたのでしょうか。本当に好きなことだったら、他人の評価で簡単にブレないだろうし、ここで辞めなかっただろうと思います。
最後の舞台はプロコフィエフの協奏曲を演奏しました。戦争の影響を色濃く受けた、暗い、けれどかっこいい、大好きな曲です。
ホールに朗々と響き渡る音。
多分、それまでで最高の演奏ができたと思います。6年間の努力が実を結んだのです。
買い換えた、良く鳴る楽器のおかげでした。以前の楽器ではいくらさらっても出なかった音が、スカンとあっけなく鳴る。とにかく鳴りまくる。大砲のような音。私の細い腕には、このぐらい良く鳴る楽器でないと見合わなかったのでしょう。なぜもっと早く出会えなかったんだろう。
馬鹿らしい。あの血の滲むような報われない努力が、楽器であっさり解決するなんて。笑える。
突然、クラスメートや先生たちが手のひらを返したように私を褒め称え始めました。凄い。あなたの表現力はずば抜けている。
でももう遅い。私は辞めると決めたんだから。
それから長い間、私は「バイオリン」という言葉を封印して、何もできないバカな大学生、ただのできそこないの社会人として、10年あまりを過ごすことになります。
人の間で生きていく力に極端に乏しかったため、社会の底辺で地を這うような生活を送っていましたが、「音大に行っておけばよかった」と思うことはありませんでした。
バイオリンを弾くことはなくなりましたが、なぜか、あの夢のように気持ちよく鳴る楽器だけは手放しませんでした。
思い起こすと、親は、少し足りないところがある私の特性を見抜いて「この子は少しぼんやりしているけど、音楽をやっていれば将来それでご飯が食べていけるから」と、私のために音楽をさせていたとも言っていました。
今こうして、たくさんの音楽仲間に囲まれて、音楽を純粋に楽しめるようになってようやく、楽器を習わせてくれた親に感謝する気持ちが少しずつ、芽生えはじめています。現在37歳。楽器を辞めてから20年。長い時間がかかりました。
音楽活動の再開へ導いた ” 即興表現 ” との出会い
Ai:
再び楽器を手に取られたきっかけはなんだったんですか?
Asuwaさん:
30歳の頃、縁あって京都に引っ越してきて、出会った「即興表現WS」です。二胡奏者の向井千惠さんの主催されている定期イベントで、コンセプトは「ノージャンル・ノールール」。楽器に限らず、その辺にあるものをたたいたり、踊ったりする人もいるし、皆んなが自由に即興的に音を出して、音で「対話する」のです。
私にとって、まさに青天の霹靂ともいうべき体験でした。コードやスケールに準じたセッション、というのともまた違う、完全に自由な音との戯れ。参加者たちは、年齢も肩書きも音楽のキャリアも無関係に、ただ子どものように無心に、互いの発する音や動きとからまり、じゃれあっていました。いつしか自然とハーモニーが生まれ、グルーブが立ち上がってくる。心が一つになる。音の宇宙に旅行する。
「これが音楽の源流なんだ!音を純粋に楽しむ音楽があったなんて!」
ただこの身ひとつでポンと置かれても、そこに「存在する」ということが認められている。その人ありのままでそこにあり、心が望む音を空間に投げかける。その音に反応して誰かがまた音を出す。心が感応して、音楽が生まれる。
「あなたはあなたそのものでいい」そう言われていると感じました。
この体験は私にとっての大きな「癒し」そして「救い」になりました。
このWSへの参加をきっかけに、音楽をもう一度やってみようと、楽器を再び手に取ったのです。実に約15年ぶりの音楽との再会でした。
みんなを幸せにする音楽への憧れとインド古典音楽への眼差し
Ai:
インド音楽のどういうところに惹かれたのですか?
Asuwaさん:
インドの人たちの演奏ってもちろん技術も素晴らしいんですが、ただ上手いだけじゃなくて、皆さんニコニコしながら弾いていて、とても幸せそうに見えます。
はじめてインドの女性バイオリニストの演奏の動画を見た時に衝撃を受けました。みんな女優さんみたいに美しくて、でも威厳に満ちていて、なんとも言えない柔和な…「みんなで至福の音の世界を楽しみましょう」というような、恍惚とした笑顔を浮かべながら演奏しているのです。インド人の豊かな精神性をここにも垣間見る気がしました。
私の目指せと言われてきた「音楽」の世界は、どれほど小さく貧しかったのだろう、あれはなんだったんだろう。…
ですが、道を極めようとすれば、西洋クラシックに限らず、どの分野でも同じような辛さや厳しさ、闇があるのではないか、とも思えます。
先日、インド古典音楽の演奏家の音楽生活を描いた『夢追い人』(Discipline)という映画を見ました。主人公は私と同じように、子どもの頃から親の意向で音楽を始め、ストイックに修行を積みますが、そこそこの実力はあるものの、いつも一番にはなれず、なかなか芽が出ない自分に苦悩します。見ていて、まるで過去の自分のようだと感じ、映画を観終わってもまだ主人公とともに、出口のない苦悩の中でさまよっているような感覚を持ちました。
あの映画を見たことで、インド音楽も、西洋クラシック音楽と同じぐらい厳しい世界なんだということを思い知らされ、身が引き締まる思いです。
Ai:
今後の目標を教えてください。
Asuwaさん:
音楽を「楽しむ」ことを全力でやっていけたらと思います。
そしてもちろん、インド古典音楽の基礎や、技術を身につけることも必要不可欠です。
インド古典音楽においても、西洋クラシック音楽と同等かそれ以上に、高い技術力が要求されると思います。特にガマックやミーンドと呼ばれる、揺らしたり引きずったりする奏法は、西洋クラシック音楽にはないもので、一からの習得になるのでとても大変です。同じバイオリンでも奏法が全く違うので苦労します。
技術的にきちんと弾けるようにすることと、自分が楽しみ、みんなを楽しませることを両立することは、なかなか一朝一夕にできることではないとは思いますが、場数を踏みながら一歩ずつ、前進していけたらと思います。
最終的には、即興表現WSで味わったような自由な音の表現を、インド古典音楽の枠組みの中でやっていくことができたら…と思うのですが、そこに至るにはまだまだ修行が必要ですね。
Ai:
音楽とともに歩んでこられたAsuwaさんの貴重な経験をシェアしてくださってありがとうございました。
最後に、共演されるタブラ奏者の藤澤ばやんさんを紹介するメッセージをお願いします。
Asuwaさん:
ばやんさんは、インド古典だけではなくて、幅広く色んな音楽をご存知で、引き出しが多くて、色んな変化球を投げてくれる感じがして、面白いですね。音楽が純粋に好きな人たちと一緒にいるとホッとして癒されますし、音楽が好き、という気持ちが伝わってきて、私も楽しくなってきます。
京都の音楽シーンは、音楽家同士がみな基本的に仲がよくて「みんなで楽しもう」というカルチャーがあって、すごくいいなと思います。
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Asuwa Murayama / バイオリン奏者
4歳から英才教育の一環で西洋クラシック音楽のバイオリンを始める。17歳まで専修するも、「なぜ自分は音楽をやるのか」という根本的な意義がわからなくなり、音大進学への道を断念し、文系大学に進学する。
30代になってから「即興表現」にはじめて出会い、心のままに奏で、音で対話するような音楽の魅力に開眼し、15年のブランクを経て、再び音楽活動を再開する。
さらに、その途上でインド音楽と出会い、奏者たちが微笑みながら演奏する姿を見て心惹かれ、今に至る。
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